最新日記

会いに行くのが一番

友人と宮古島の恩師のところへ

 

天候 雨時々曇り

気温 29度

 

お休みもらって石垣島と宮古島へ行ってきました。

 

西表島に来てすでに33年、西表に上陸当時は本当に人が少なくて、民宿とペンション、数件の飲食店、フィールドのアクティビティもダイビング以外は釣りとシーカッヤクくらいなもので、観光客はほぼダイバーみたいな感じで人も車も集落もありのままの自然の景色も緩やかな時間の流れもなんだかタイムスリップしたような感覚を覚えています。

 

夏やハイシーズンにだけ、各民宿などで働く若いヘルパーが加わり、ダイバーや観光客が大勢来て賑やかになるものの夏が過ぎると観光客が一気に減って、シーズンヘルパーも内地に戻ったりするので、閑散とするそんな島でした。

 

冬の気圧配置が決まると、連日風と曇天が続き、人と話すことも少なくなりがちで冬をやり過ごすのがなかなかハードでした。

 

ランニングやトレーニングするなどして、マラソンレースに出たり、挙げ句の果てにはトライアスロンまでやり始めて、夢中になってました。

 

ある意味厳しい西表の冬の時期を、潜る以外いろんな遊び方や過ごし方を教えてくれた先輩が、石垣島にいます。

 

西高東低の吹き続ける風の中でも、ほぼ誰もいない広い西表のゲレンデを気持ちよさそうにウインドサーフィンで疾走したりジャンプしたりカーブしたり。

 

ウインドサーフィンは知ってたけど、僕がみていたウインドサーフィンは鎌倉の海で、進んでいるんだか止まっているのかわからない、微風を受けてボードの上につっ立っているウインドサーファー。

西表で間近に見たのはそれとは全く異なる異次元のウインドサーフィンでこんなに出来たら、カッコいいし最高に楽しいだろうなと思わせてくれました。

 

ハードルは高そうだったけど、これにものめり込んで冬の楽しみを今も継続させてくれています。

 

現在は石垣島の田舎の方に居を移しているので、10年くらいはご無沙汰してたので、こちらからお誘いすると2つ返事で会ってくれました。

 

石垣島のバーにて

 

焼肉から始まり、15年ぶりに復活した繁華街のバー、その後も重低音が鳴り響くDJクラブで結局、夜中の3時まで。

 

翌日朝の土砂降りの雨の中、宿を出発、飛行機で宮古島へ。

 

宮古島には僕が八重山に来るきっかけ、そもそもダイビングガイドを始めたきっかけをつくってくれた恩師と奥さんがいます。

 

西表の元同僚である友人も不思議なことに若い時にお世話になっているので、恩師が還暦を迎えたこの年に2人で宮古島にサプライズで会いに行こうと夏頃から計画してました。

 

奥さんにだけ行く日程を連絡しておいて、あとは現地で。

 

ほとんど打ち合わせらしいことはしないで、お祝いのクラッカーを宮古島のドンキで購入して、先にお家にお邪魔してあとは海から戻ってくるのを待っていました。

 

 

この動画、何度も見てしまう。シンプルだったけど大成功でした。

 

20年以上ぶりの恩師は丸太のような身体がさらに太く、変わらずパワフルにダイビングサービスをやっていました。

 

八重山へ渡った当初、ご夫婦には全く知人のいない僕に毎晩のように晩飯を御馳走してくれたり、寝床を提供してくれたりとダイビング以外でもたいへんお世話になりました。

 

今の僕が西表島でやっていけてるのもこうした助けや道標があったからだと思います。

 

お祝いのサプライズでしたが、今回もお家に泊まらせてもらって、夕飯、朝ご飯、ダイビング とまたお世話になり続けてしまったけれど、笑ってばかりの非常に楽しい滞在でした。

 

赤いちゃんちゃんこもいいけど、やっぱり会いに行くのが一番だと思いました。

 

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